学んでくれたのか傷つけただけか

新学期のストレスなのか

あまりに子どものいわゆる「トゲトゲ言葉」がひどく

連日帰宅するたびに嵐のように浴びせられ

私もポッキリ心が折れていた。

バリアを張るしかなかった。

ひどい言葉にひどい言葉で返してもなんとも思わないくらい私も傷ついていた。

 

さすがに私のメンタルが限界を超え

お腹まで下すくらいになり

ヤバいと思い

家事なんか放棄して一日自由時間にして

やりたかったことを詰め込んだら

少し回復した。

そしたらごめんねの気持ちがやっとわいてきた。

 

ボロボロに傷ついた親の姿を見て何を思ったんだろう。

時間を守りたいこだわり

時間はいつもギリギリになりがちだけど、遅刻が嫌です。

自分の子どもが遅刻するのも嫌です。

時間が守れない、この時間までに行くルールだから今はこれをしてねと言っても全く動かない子どもに対し、とにかくイライラします。

遅刻で自己肯定感を下げまくってきたと思う。

同じように子どもの自己肯定感を下げてしまっているのかもしれない。

反省して改善はしてほしいけど、自己肯定感は下げないでほしい。

難しい。自分でさえ苦戦しているのだから、それを子どもに求めるのはもっと難しいと思う。

夜更かししてまで自分の時間をつくる

それは発達凸凹の特性の一つだと以前読んだ本に書いてあり、ものすごく納得がいったのを覚えています。

限られた時間の中でやるべきことが増えてしまった時、やりたいことを我慢してやるべきことを優先するのが人の常とのことですが、

凸凹さんはやるべきこともやるけど、やりたいことも我慢しない、らしいです。

 

めちゃめちゃ共感しました。

私も納得いくまで自分の時間を取りたい。

納得いってないけどさすがにこんな時間だから寝ようかな、の自制はするけれど、

毎晩毎晩「もっと早く布団に入ればよかった」と思っていたりします。。

コミュ障の自覚がなかった

「小さい頃はお友達とうまく関わることができなかったけど、成長していくにつれて親友もでき、みんなとうまく関われるようになった」と自分のことをずっと思ってきたけれど、

違った。

 

私と仲良くしてくれる友達がうまく私に合わせてくれているだけだった。

あと、うまく関われない人には近づかないようになったからだった(これは多くの人が実践してるのかもしれない)

そう気づいたのは子どもの発達の凸凹がよりハッキリ見えてきた頃でした。

コミュニケーションの独特な取り方は凸凹ならでは、などと知っていくうちに、それが私にも当てはまるとじわじわと気づいていき、

自分のコミュ障をようやく自覚しました。

 

私の場合、大人になるまで自覚のないコミュ障だったことでタチが悪く、

全然合わない子どものママたちと無理して一緒にいることで必要以上に疲れ果てたり、

彼女たちにとっても、なんでこの人私たちにくっついてくるのとか思わせていたかもしれなくて、

もしコミュ障をもっと早くに自覚していたら、

私は開き直れてラクだったと思うし、

彼女たちからも必要以上に煙たがられることもなかったんだろうな。

 

受容って時間がかかるんだなと身をもって知りました。

叩くのはやめてと伝えても伝わらないから

正しいかはわからないけど

思い通りにいかないことがあるとすぐ手が出たりいまだにモノを投げたりしてくる凸凹長男(小2)に対して

「今頭たくさん叩かれちゃったから、痛くて大事なこと忘れちゃった…あなた誰?」

を決行してしまった。

 

何を話しかけてきても反省するまでは「痛くて忘れちゃって思い出せないんだけど、それ私じゃなくてあなたのお母さんに言った方がいいんじゃない?おうちどこ?」と忘れてしまったフリを貫くのは

とても酷だったと思う。

でも人を叩いたりモノをぶつけたりしたらいけないということ

いい加減伝わってほしかった。

これまでも、手段を変えたりしながら、うんざりするくらい同じことを伝え続けている。

いつかやらなくなる日が来てほしい。

 

 

孤育て

我が家の凸凹は夫も然りで

夫がいる日だって別に楽になるわけじゃない。

今日もまた一人で終わらない家事をやっている。

子どもたちの面倒を見ながら。

自分の時間も取れずに。

凸凹な私も一人になれる時間がないとメンタルがつぶれるんですけどー!

こそこそブログ更新したらがんばろ。

 

まだはてなブログのグループにうまく入れない。

入るボタンを押したらブランク画面になるのなんでだろう?

さみしさ

長男はいつまでもブランコを押して押してと言っていて、

私が「もう年長さんなのに?」とか言いながら押していたけど、

思えば最近公園すら来ていないことに気づいて

強烈にさみしくなりました。

 

次男が「おしておして」と言う今は貴重だなと痛感しています。

大事にしよう。